心的外傷(トラウマ)を身体に受けるということ。トラウマとPTSD。
トラウマとは何か
外傷(トラウマ)体験とはなにか
人の対処能力を超えた衝撃的な出来事を体験した場合に、それが大きなトラウマ・心的外傷(traumatic events)となってその後様々な精神的・身体的な問題を引き起こすことをPTSD(”Post-traumatic Stress Disorder” 心的外傷後ストレス障害)という。
[PTSDとは、トラウマ、外傷後ストレス障害、外傷記憶]
外傷的体験とは、人の対処能力を超えた圧倒的な体験で、その人の心に強い衝撃を与え、その心の働きに永続的、不可逆的な変化を起こすような体験を意味します。
そのような圧倒的な衝撃は、普通の記憶とは違って、単に心理的影響を残すだけではなく、脳に「外傷記憶」を形成し、脳の生理学的な変化を引きおこすことが近年の研究で明らかにされています。
PTSD患者の神経生理学的徴候は、神経画像的研究、神経化学的研究、神経生理学的研究、電気生理学的研究などで証明されつつあります。外傷記憶は時がたっても薄れることがなく、その人が意識するしないにかかわらず、一生その人の心と行動を直接間接的に支配するのです。
[外傷性精神障害とPTSD、PTSD以外の外傷性精神障害]
外傷記憶を形成するような体験とは、戦争、家庭内の暴力、性的虐待、産業事故、自然災害、犯罪、交通事故など、その人自身や身近な人の生命と身体に脅威となるような出来事です。PTSDでは、その種の出来事に対して、恐怖、無力感、戦慄などの強い感情的反応を伴い、長い年月を経た後にも、このようなストレスに対応するような特徴的な症状が見られます。
たとえば、患者はその外傷的体験を反復的、侵入的に再体験(フラッシュバック)したり、外傷的体験が再演される悪夢を見たり、実際にその出来事を今現在体験しているかのように行動したりします。
あるいはそのような出来事を思い出させるような活動、状況、人物を避けたり、その結果として孤立化したり、感情麻痺や集中困難、不眠に悩まされたり、いつも過剰な警戒状態を続けていたりします。
参考:【 PTSD:心的外傷後ストレス障害 】赤城高原ホスピタル
大きな自然災害、戦争、テロ、犯罪、実の親によるDV(ドメスティックバイオレンス)、心的・性的虐待、苛烈な虐め、特異な状況下で親しい人を亡くすなどの喪失体験を外傷体験(トラウマ体験)と呼び、これがのちに引き起こす障害をPTSD(心的外傷後ストレス障害)という。親に重い身体、精神障害がある場合も心的外傷後ストレス障害は引き起こされると言われている。
本人の安全感を根底から破壊してしまうような心的外傷体験は、パーソナリティ障害などの原因となり得るといわれている。その代表的なものは、実の親からの虐待、あるいはレイプ被害。
親の暴言や虚言、こういったものはよくあるとして、その体験はあたりまえのものだったと済ませない方がいい。
親というのは、こどもの生存の権利を握っている。食事、居住空間の保証。圧倒的な権力差を持っている。そういった生命や存在自体を肯定も否定もできる力を持つ保護者からのパハーハラスメントやモラルハラスメント、DVはたいへんな脅威をこどもにもたらすと考えられる。
*フラッシュバック
心的外傷を受けた際の記憶がなんらかのきっかけでフラッシュバックする。それが起きた時に見た景色、匂い、光、物などがきっかけになる。
*回避行動
心的外傷を思い出させるものを避ける
場所、方角、関係者など、似ている人や、その時あった物に似ているものを避ける
*記憶がない
人生の中で記憶がない部分がある
時々記憶をなくす
二重人格や多重人格を持つに至る場合もある(解離性同一性障害)
*過覚醒
入眠困難
怒りっぽい
集中が困難
過度に警戒する
*解離症状・離人症
自分の周りに薄い膜(ヴェール)がかかっているようで現実感がない。目の前で起こっていることが遠くで起こっていることのように感じる。
意識、知覚、記憶、感情、身体、行動が分断されて体験されるような感じがする(現実感消失障害)。離れた場所から自分を見ていたり、自分が自分でないように感じる離人感。
感情の脱失という症状は、トラウマのエピソードだけを覚えていて、その時の感覚や記憶がまったくないことをいう(身体的虐待・性虐待)
身体は借り物のようで、現実感がない。
突然暴力的になり、自分の身体にフォークを突き立てたりするケースもある。
解離のスイッチがあり、突然飛んでしまう。
言葉を失って反応ができなくなる。
気がついたらリストカットをしていたり、別の場所にいるケースなどもある。
*抑うつ的な症状
夜になると不安になる。
誰か人がいないと不安になる。
いらだちと激しい怒りにかられる場合がある。
自己嫌悪感が激しくて、自分を汚れた存在だと思っている。
憂鬱な気分が続く。
自分の感じ方を肯定的にとれない。
気分の変動が激しい。
自己否定感が強い。
[PTSDの回復とは]
慢性のPTSDへの治療としては、グループ治療、認知行動療法、精神力動的治療、薬物療法などがあります。
EMDR(Eye Movement Desensitization & Reprocessing)は、眼球運動と回想、情緒認識を組み合わせた技法で、眼球を左右にリズミカルに動かすことで感情の処理過程を促進し、外傷記憶に伴う苦痛な感情を脱感作するというものです。トラウマ体験に基づく、恐怖症、不安、フラッシュバック、解離性健忘などに有効です。
トラウマが人の心に永続的な変化を引き起こすとは言っても、PTSDは回復可能な病気です。外傷性記憶やその影響が消えることはありませんが、それが日常生活を左右しなくなること、外傷体験にも、自分なりの自己肯定的な意味付けができるようになること、これがPTSDからの回復と考えられます。
参考:【 PTSD:心的外傷後ストレス障害 】赤城高原ホスピタル より抜粋
ほかに、自分で試したところ、鬱への対策として考えられた、プロテインと鉄を中心とした栄養療法も効果があるように思う。(離人のおわり)
Traumaとはなにか
世界が色褪せて見えて、見ているものに生命感を感じられない。
[ 解離とは、解離性障害、外傷性精神障害 ]
私たちが物事を体験するとき、その体験には幾つかの要素あるいは側面があります。それは、その体験と過去の記憶との照合、他人でない自分がそれを体験しているという感覚、その体験から受ける知覚、感情、そして自分の身体を自分が支配しているという感覚などです。
解離現象、あるいは解離状態では、それらの一部が統合を失い、意識化されなかったり、感じられなかったり、なくなったように感じられたりします。
たとえば、次のような状態です。ぼうっとしている状態、空想にふけっている状態、白昼夢のような状態、何かにとりつかれているかのような状態、人が変わったように荒れ狂っている状態(怒り発作)、狂乱状態、ある種の記憶障害(心因性健忘、解離性健忘 Dissociative Amnesia)、心因性とん走(解離性とん走、Dissociative Fugue)、離人症状態、多重人格など。
要するに、解離状態というのは、日常的非病的な現象から、重症で病的な現象までの連続性を持った心の状態で、意識、記憶、同一性、知覚などの統合が崩壊する、互いに類似性を持った広範な状態像の総称です。これを解離スペクトルム(Dissociative Spectrum)と言います(Braun, B. 1988)。
参考:トラウマと解離性精神障害 赤城高原ホスピタル
フラッシュバック、苛立ち、無意味な怒り、焦燥感。そして解離、離人感。そして依存を生むもの。
外出先で人と話しているとき、あるいは家族と話しているとき、それがまったく実体がない感じがして意識がどこかへ浮遊していることがある。解離のスイッチがあるようで、それはなにかの拍子に入るらしく、その場は抜け殻になっている外側の私が役割行動を取り、適当な相槌を打つ。
会話の内容はまったく覚えていないが、潜在意識に任せておく感じで、別に不都合は生じない。
絵本をこどもに読んでやるときも、字面だけを正確に読み続けることができ、意識はどこかに飛んでいて本の内容は覚えていないことがある。
離人症。解離
そして離人の内側のわたし
突然言葉を発することができなくなり、意識は深い底の方へはいったきり反応できなくなることがある。それは20代のはじめの頃に、父と激しく対立したときにはじめて経験した。医師に話しかけられても、看護婦に話しかけられても、まったく応じることができない。正確には気力がないというか。
あれは自殺企図だったのか、他殺企図だったのか。なんだったのか思い出せない。急性期として精神科へ強制入院することになった。そして何も話せない。悲しくもなく、苦しくもない。何もない。なんの音もなく、静か。静かすぎて、どうしょうもない。
外側の私がなくなって、内側の私が剥き出しになっているということなのかもしれない。いつもなら外側の私が外交するのだから。
あるいは、電車に乗っていて、降りるべき駅で降りられず、なんども行ったりきたりすることがある。いまも。
過覚醒
そうかと思うと、人の話を異様なくらいよく覚えていて、台詞としてあとから反芻できるほどで、それが不快なことばだったりすると厄介になる。
出来事のディティールを覚えていて、何度も繰り返しリピート再生することができる。嫌な場面だとほぼ拷問に近い。過覚醒の一種なのだろう。迷惑な機能だ。
自分が言われて、それは誤解だよ、と思うことは、あとからあとから反芻することになる。どう返せばよかったのだろう?どうしてわたしは、そうじゃないってすぐにいえないのだろう。
そして、睡眠薬を飲んでも、なかなか寝付けない。そして眠っても、意識のどこかがずっと起きている…..日中飲むことになっている向精神薬もまったく楽しい気持ちになることはなかった。
モチベーションがあがったと感じたことももちろんない。気の重さが減ることもなかった。ただ定期的に飲んでいるという動作が拠り所だった。
キレる。あとから許せなくなる。
同棲している彼と過ごすうち、追求されると、キレるようになった。彼は、なにを考えているかわからない私を嫌がった。意見ははっきりいうべきだといって追求した。
出て行ってと言っても彼は出て行かなかった。なぜ帰ってくるのだろう。
そうするうち、だんだん自分が現せるようになったのか、嫌な出現だけれども__自分に酷いことを言った彼に対してその場で怒りを示すことができず、後から許せなくなり、なんども復讐することを想像する。そういうことが多くなった。
以前はそんなことなかった。父以外の他人に怒りを感じるなんてことは、一度もなかった気がする。他人との間の薄い膜があるし、何かいわれても、ふうん、って思っているだけだった。それなのに……….聞き流せなくなっていく。そのくせ、怒りや苛立ち以外の自分の感情がつかめない。
眠れない。
或いは眠らないのか。
どちらだろう。
入眠するのが不安で夜が白み始めるまで起きてしまう。明け方までやっている店で過ごすのがいちばん安全だった。眠らない。これがいちばん厄介だった。次の日の予定がうまくこなせない。
今もときおり。夜の色が意味もなく不安を掻きたてる。それは、幽霊がいるのではないか?というようなことではない。
ただここは安全ではないのではないか?と、原始的な脳が警告を発しているんじゃないかという気がする。だってただ目を瞑るという動作が不安なだけだから。
無防備に眠りについて、危険を知らずにいるのはまずい。誰かが見張っていてくれると、眠れる。
精神病院ではよく眠れた。山の家でもよく眠れた。目を開けてもまったく光がささない夜の闇。目を開けても閉じても同じ暗闇なのだから、諦めて眠るしかない。都会では、不定期に行き過ぎる車の音や、冷蔵庫のモーターの音やなにかで気が立つ。
怒る、ということ。
時に、怒りをエネルギーにして生きているなと思う人に出会うことがある。生きる、そして活動していくためにはアドレナリンが必要だろうと思う。しかし、無力感や無気力感が支配する体の中では、動力になるアドレナリンはきっと出ない。だから怒ることで、怒る要素をみつけて__アドレナリンを意図的に出す。そんな話を聞いたことがある。
闘争・逃走反応は虐待などの被害体験でも起こるだろう。爆撃などの戦争体験の中でもあるだろう。そんな時、どうしたらいいのか。
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