合法薬物への依存
合法薬物依存は、医療機関やドラッグストアなどで合法的に処方・販売されている薬に依存するという、本末転倒な症状。
大麻、笑いきのこ、覚せい剤、コカインやヘロインという危険な違法薬物とは違い、簡単に手に入り、それと知らないうちに依存するようになる。
わたしの場合は、睡眠導入剤や精神安定剤といわれるものにしばらく依存していた。これが切れると、苛立ちや焦燥感に襲われる。
元来わたしは解離と離人症を持っているので、そういう症状は意外なものだった。
私の場合、婦人科で子宮内膜症のためのホルモン治療を行っていた時期でもあったので、感情の起伏はそのホルモン剤でも煽られたと思う。そして眠剤や安定剤が切れると、その振り幅はもっと大きくなった。
サイレース、デパス、ハルシオン、ドグマチール、レンドルミン、ダルメート、ソメリン….. 調べるとどれもベンゾピアゼン系睡眠薬のようだ。
私の医師はハルシオンの常用に反対していた。病院でむやみに取り扱わないようにと、ある精神科専門病院で談判までして、ちょっとした噂にもなっていた。そのような医師が慎重に処方する薬でも、依存は起きた。
ハルシオンは一時期、これと一緒にアルコールを摂取すると〝飛べる〟といって、乱用が流行したことがある。私はアルコールはやらないので、試したことはない。サイレースなどは、夜のクラブで見知らぬ男に手渡され、アルコールと一緒に飲まされた。飲んでも眠らないし、飛ばないし。何も起こらない。
そして、薬によっては、飲んでいる時に気分が高揚するということなのか、変に気分が落ち着かなくなるものもあった。ドグマチール。
薬を飲んでも、よく眠ったとはいえない。深い睡眠を得たとは思えなかった。頭の芯のあたりが、尖ったように冴えていて、けして眠ってはダメだと言っているようだった。
サイレースはなかなか強い睡眠薬だった。これを飲むと、重たい眠りが来た。もう二度と目覚めないかもしれないような、そういう暗い眠り。
サイレースはあまり飲まないようにしていたが、意識をなくせるのはよかった。
起きるといっても、ぐったりと重い頭を枕から引き抜くように持ち上げて、そして霞がかかった意識のまま日常の動作をする。ただぼんやりとして、なにもよくわからない。
眠っているとき、見苦しい姿になっているらしかった。起きてみると、喉が渇き、口元から涎が流れ、枕には涎のシミがべったりと付いている。
薬を飲み過ぎていると、そうしてあちこちの筋肉が弛緩して、だらしなくなっていく。精神科に入院していた若い人々も、年寄りみたいに口元がだらしなく、泡を吹くように見苦しい。
精神病院での薬の使われ方
薬は管理される。つまり患者も一元管理される。
精神病院での薬の扱われ方
精神病院では三度三度の薬の服用は絶対で、眠る前の薬ももちろん、全てが必ず飲むように管理されている。しかし、大概それは強過ぎて、日常の動作、手の上げ下げの意欲さえ奪うようなものだった。
どんどん覇気がなくなっていく。もともと無い覇気がゼロになる。
閉鎖病棟では、薬は一列に並んで受け取って、その場で渡された薬と紙コップの水で飲み干す。あまりに意識がなくなるのを避けたくて、口の中に薬を放り込んで頰の下にそれを隠し、飲み込んだふりをしてトイレで吐いて薬を流したりした。
こうした薬の強制管理は、急性期の患者に薬を任せておくと、溜めておいて後で過剰摂取して自殺企図に使うというのを避ける意図もあるだろうと思う。しかし、強い薬を無闇に出す医師が担当の子たちは、なんともみるに堪えない状況になっていった。
はじめ、園庭前の明るいホールで楽しそうに卓球に興じていた17歳の男の子は、半月もすると目が淀み、体の動きもおぼつかなくなり、卓球はできなくなっていた。
彼は、自殺企図などでこの病院に強制収容されていた。生い立ちは、両親の離婚、父親が経済的に面倒を見ているが、十代にして一人暮らし。正月も一人で迎えなければならない状況だった。別にその他に、その子が酷く変わっているとか、病んでいるということは感じなかった。
その子は、次の冬を迎える前に他界してしまった。孤独が齎す寿命。
夜の闇の不安感から、この白い錠剤たちは救ってくれると思うと、それを口にするのはある種救いだった。一錠、二錠と数え、開封して飲み込む。これを飲みさえすれば、あのフラッシュバックも解離も起きないはず。そして安心できるはず。そう、救いを求めていた。
薬の量はだんだんと増える。だんだんと強い薬になっていく。
夜が怖いので、夜はクラブで過ごすか、夜中は起きてドライブしているのが安全だった。夜が好きな友達と、一晩中首都高や神奈川、あるいは関東の山間部まで車を走らせ、朝日を見て帰ってくるというのが毎週末の夜だった。この時間が好きだった。
私が車を出して運転することもあった。福生のあたりを走っている時、赤や青の信号がずっと先まで続いていた。この時、私は信号が赤なのにアクセルを戻さず、そのまま突っ切っていた。離人症がどんどん進んで、現実の記号に反応できなくなっていた。
そして、だんだん見苦しいことになっていく。
17歳で他界した友人を思い出した。友人は、何かを病んでいた。中学生の時の同級生で、私は小学校の時からの友達だった。明るくて、お笑いが好きで、いつも友達と一緒に周囲を笑わせていた。私は既に病んでいたので、彼女のその明るさが眩しかった。
しかし、高校に上がった頃、彼女の噂が聞こえてきた。学校をやめて、自宅に引きこもっている。友達と順番に自宅を訪ねて見守っているということだった。
でも、だんたん彼女は引きこもりの度合いを強めていった。お母さんが亡くなって拠り所を失ったと聞いた。お父さんは居たが、希望する役割を果たせていない様だった。
そして、どうなったのだろう。病んでいる原因はよくわからないままだった。
はじめは原付に乗って活動的だったそうだ。それが、アルバイトに行くのに、バイクが自転車になり、自転車が乗れなくなって徒歩になり、最後には徒歩でも歩けなくなって、一人で部屋に籠るようになったということだった。
家を訪ねると、ピンクと白の可愛いボディカラーの原付が、薄汚れて止まっていた。もう動きそうになかった。
私が彼女の状態を聞いたときには、自分一人で、自分自身の面倒を見られなくなっていて、友人が着替えをはじめ、身の回りの世話を時々手伝いに行っているといっていた。私も行って、時々連れ出した。共通の友人と一緒に代わりばんこに一緒に時間を過ごすようになった。
けれど、ある日、彼女は幸せだった記憶のあった場所で17歳のうちに他界した。確か18歳の誕生日の前日だったと思う。
みんな受験期で、少しずつ時間が取れなくなっていたときだった。
福生で信号無視をしたとき、彼女のことを思い出した。私も手にしたコップを取り落とすようになっていて、階段やちょっとした段差で躓くようになっていた。少し前まで、高い塀を軽々飛び越えられていたのに。
でもまだこの時は、断薬しようとはおもわなかった。
精神科病棟を退院してしばらくして、大学の受験資格の検定を受ける勉強をしていた。それで、何をやっても覚えられないし、コップが手から落ちる回数が増え、しまいには階段から落ちて小指を骨折したりして、動作に自信を失くすような状態が増えていった。
なにより寝ている時に涎を垂らしているらしいことが無様でいやだった。
それで、断薬することにした。ある日突然。
断薬は大変だった。物凄く苛立ち、些細なことで興奮し、泣き喚いた気がする。当時同棲していた彼の支えなしには、乗越えられなかった。
白い錠剤を見ると震えが来た。薬はみんな捨ててしまっていた。
どうやって乗り越えたのかまったく記憶が無い。1週間か、2週間か、3週間か。私は常用依存にすぎなかったが、断薬時の離脱症状は激しかった。麻薬の断薬はもっと酷いらしいって映画で見たけど、近いものがあった。ベンゾジアゼピン受容体作動薬の依存。
国内で使用されているベンゾジアゼビン系睡眠薬
| 作用時間 | 商品名 |
| 超短時間作用型 | ハルシオン アモバン* マイスリー* |
| 短時間作用型 | デパス レンドルミン リスミー エバミール・ロラメット |
| 中間作用型 | エミリン ロヒプノール・サイレース ユーロジン ベンザリン・ネルボン |
| 長時間作用型 | ダルメート・ベノジール ソメリン ドラール |
(*非ベンゾジアゼビン系睡眠薬)
『睡眠障害の診断・治療ガイドライン研究会』内山 真編より一部転載
それで、ひとしきり合法薬物依存を経験して思うのは、どうせ効かないのだから飲まなくてもいいのではと思う。
振り返って思うのは、ただ薬物を飲んで本当に眠りたかったわけではなく、落ち着きを取り戻したかったわけでもなく、何かに依存していたかった、ということだと思う。
だから薬を飲んでもなにも解決しない。薬を飲むと楽になる、という医者のいうことを聞いていいかどうか、ちょっとわからない。
過覚醒は問題だけど、医師のいう薬を飲めば楽になるは甘い依存への罠の言葉だと思う。
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